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正式に進級が決まりました!
やったね! ありがとうございます先生、来年度からは心を入れ替えて頑張ります。 ちなみに2→3年の留年者は3人。 1→2年は2人だったかな? うちは進級がゆるい方らしいですね。 学校によると留年者が二けたなところもあるとか・・・怖い。 *** 後期試験の合格発表が行われ、後期合格者と何人かお会いしました。 みなさん一様に「信じられない」っておっしゃってました。 私立大学の新居を探しに行く直前に合格が決まり、慌てて行き先を変更したとか。 私も後期合格だったのですごくわかります。 いそいで飛行機のチケットをとり、合格手続きをして、新居探し。 これ全部一人でやったので心細かった・・・ 入学式までの1週間、現実とは思えませんでした。 懐かしいですね。 あれから2年、私ももう3回生か・・・ PR |
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※ただし満身創痍 なんとか2か月にもおよぶテスト期間が終了し、 再試験の嵐にもめげず、12個のテストを無事乗り切りました。 ご褒美はもちろん(仮)進級。 あともう一つ中間試験が残ってるけど、気分はもう春休み。 受験生の皆さんは明日から前期試験のようですね。 今日大学に行ったら受験生とおぼしき方々がたくさん下見にきていました。 今年も医学部の倍率は高く、実際に通っている者としては 「そこまでいいもんじゃないと思うけど・・・」 と思いながらも、やっぱり志望してくれるのは嬉しいという感じです。 むかーし、十数年前の進研ゼミが何かの受験情報誌での読者投稿に、 「受験のとき、試験監督である教官から、 ”僕たちの仕事は君たちを落とすことではなくて、 君たちが自分の持っている力を出し切ることをお手伝いすることです” と言われたことで緊張が抜けて、実力が出せて合格できました」 とあったのを覚えています。 いいこと言いますね。でもこれほんとだと思います。 緊張して泣きそうな顔の受験生とか見ると、 「私にできることあったら言って!」 って思いますもん。せっかくこんな(田舎)まできてくれたんやし、 願い叶うといいねえ、って在校生や教官は思ってます。 だから、「なんか寒い」「暑い」「おなか痛い」とか困ったことがあったら、 そこらへん歩いている学生つかまえて遠慮せずなんでも言ってください。 きっとこころよく教えてくれますよ。 自分で頑張るとこは頑張る、 それ以外のところは甘えてもいいんです。 これを見ている受験生のみなさんが、 今まで頑張ってきた成果を試験にぶつけられますように。 遠い街から健闘を祈っています。 |
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5日後に解剖の再試験wで、その翌日にレポート3本提出・・・だと?
その1週間後には寄生虫の試験があってその翌日にまたレポート4本提出ワッショイ! やっぱりある程度の要領の良さは必要ですね。 薬理のレポートとか真面目にやってたら楽しいかもしれんけど、 それだと勉強以外のことができないし・・・ |
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バイトとテスト勉強と部活をしてたらいつのまにか9月も半ば過ぎ。
来年度入学する学士さんの試験はもう発表待ちの頃でしょうか。 この時期になると、T大出身の学士の先輩の思い出を聞いたときを思い出します。 「学士試験がダメだったら、センターの勉強始めようと思ってた」 5か月で高校の勉強は総復習できるってことですか。そうですか。 世の中には器用な方がいらっしゃるものだと思いました。 学校の方は免疫学のテストがいろんな意味で終了し、 あと組織学と薬理学の試験が今月末に予定されています。 合いも変わらず友達に助けられる日々です。 しかしこんなヘタレな私が大好き!とのお言葉いただきました\(^o^)/ 相手は女の子ですけど!\(^o^)/ もちろんヤラシイ意味はないよ! ただ、最近ちょっといいことありそうかも。。。 期待はほどほどにして、人生楽しもうと思います♪ ※ボランティア記は落ち着いたら書こうと思います。なんだか書けません。。 |
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大学所在地にある自宅を今月6日に出発し、
空路で東京へ。 7日の8時前に東京駅に部員(部活単位での参加)が集合し、 目的地である宮城県に向かいました。 といっても青春18切符で普通電車を乗り継いで行くので、 最初は乗り換えが多いことに抵抗がありましたが(荷物が大きいため)、 乗りっぱなしのバスと違い、ホームを歩いたり、階段を登ったりして、 こまめに移動したために、体がだるくならず良かったです。 静脈還流がうまく行ったんでしょう。 宿泊先の最寄駅についたのは16時。 出発から8時間が経っていました。 駅のまわりは山、田んぼ、民家、そしてまた山。 (北上川は見事だった!) その後最寄駅からタクシーで20分ほどの宿泊先へ。 初日の宿泊場所は避難所にもなっていたとある小学校でした。 「宿泊場所のまわりには何もないのできちんと準備してくるように」と 言われていましたが、まったくその通り、驚くほど何もない所。 コンビニどころか、自販機さえも探せませんでした。 アウトドアに慣れてない私は部員と一緒とはいえ、とても不安でした。 |
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