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【2024/05/02 22:23 】 |
教科別~現代社会~
現役から公民は現代社会一筋です。

この教科は自分なりの勉強法が確立していました。
だから私は去年の11月のおわりぐらいから
やっとこさ公民の勉強を始めていました。
(それまでは二次の数学で時間を取れなかった)

11月から対策を始めて、本番では9割を超えましたが、
私にはもともと現役時の知識のストックがあるので、
そこを差し引いて記事を読んでもらえたらと思えます。

使うもの
センター過去問(5年分くらいあれば十分)

現代社会がおもしろいほどわかる本(黄色い本)

政経か現代社会の図表・図説(おすすめ!!!)

やりかた
まず、センター過去問を1年分解きます。
そのとき、時間は計りません。
ただ、60分は超えないようにしてください。
なぜなら、公民の問題を解くのに1時間もかけるのは
時間がもったいないからです。
私はだいたい30分程度でした。
それ以上やると飽きる、というのもあります。

次に、採点をします。
間違ったところをまずチェック。

その問題が「正しいものを選べ」ならば
正解となる選択支をよく読み、わからない語句がないかチェック。
あればそれを「おもしろいほどわかる本」や図表の索引で調べる。
そして「正しい知識」のみをノートに書き出す。

「誤っているものをえらべ」という問題ならば、
正解となる選択肢、つまり内容的に正しい選択肢に
わからない語句、理解があやふやな語句がないかを調べる。
あれば、上と同じように調べて必ずノートに書き出す。

体力的に余裕があればそれを合っていた問題に対しても行う。
最終的に1年分の過去問のなかで
「これ、どうだったっけなあ・・・」
という語句・出来事をなくすのが目標です。

だから、問題を解くのにはさほど時間をかけず、
調べるほうに時間をさきます。

3年分もやれば、かなりの選択肢が
「あ、これ前にも見たことあるかも?」
となります。
そういうときにはノートを見返し、知識を
「見たことあるかも」→「これは知っている。~だ」
というように知識をより正確なものにする
チャンスです。
あやふやな理解は本番で何の役にもたちません。

これを繰り返します。
ノートは電車内などで読み返し、
飽きたら次のページに書いてある生物のところを読んでました。
(私は教科ごとでノートを分けなかった)

時間に余裕があれば、マーク式問題集も同じようにやります。

現代社会だからって、新聞が対策になるとは私は思いません。
この時期からやるのは現実的ではないし、
何より新聞は「試験に出る情報」と「そうでない情報」が入り混じり、
効率が悪いのでおすすめしません。
あまりにも「最新すぎる記事」は時事問題としても出題されないとも思うので。
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【2010/11/11 00:37 】 | 再受験・合格まで | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
センター後1

国語での思わぬ大失点に呆然としたことを覚えています。
苦手な数学よりも悪かったですから。

確か全体の得点率は82、3%ぐらい。
1年間で受けたどのマーク模試よりも低い得点率でした。
センター系が得意で、模試ではだいたい8割後半~9割近くで
センター逃げ切りを考えていたのでとてもショックでした。

二次が得意な人なら挽回ができるのでしょうが、
数学がとても苦手な私にはそれは難しいことでした。
(一番高く安定していた英語とは偏差値に約20の差がありました)

センターリサーチではセンターの自己採点と記述模試の
点数を合算して判定を出すために、
全国ほとんどの医学部がDやEぐらいの判定でした。

その後、予備校で出願決定の面談がありました。
前期で勧められたのは本州の北の最果て弘前と
本州の西の最果て山口。

どちらもいい大学ですが、
いかんせん弘前のある青森県の寒さは雪国出身の自分からみても
異常なくらいだし、(雪がすごい)
山口は地元や関東から離れすぎ、親戚もいないでアウェイすぎ。
正直どちらも気がすすみませんでした。

でも、行きたかった地元のN大はセンター重視のため
予備校スタッフにも「出さないほうがいい」と言われました。
二次もさほど難しくないため、みんなセンター高得点に加え
二次で満点近くとってくるんですね。
センターですでにビハインドがある私では合格は望み薄でした。

でも、どうしても、どうしても地元の大学に行きたかった私は
結局スタッフの反対を押し切ってそこに出願しました。

出願した理由は、その大学に入るために一年間頑張ってきたこと、
亡くなった親の出身大学であり、そこに入ってほしいとの
生前の父親の願いを叶えたかったため、
そしてなにより、出さないで後悔したくなかったためです。

受験しないで後悔するよりも
たとえ望み薄でも、最後の最後まで粘って
考えられるだけの対策をうって臨みたかった。

結果は不合格。
でも、受験したことに後悔はまったくありません。
私の決断は間違ってはいなかった。
青臭くて恥ずかしいけれどそう思います。
【2010/11/10 00:25 】 | 再受験・合格まで | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
私立医大は合格が易しい?
医学部、学費と検索すると結構出てきますが、
経験から言えば「それはない」

私もいくつかの私立を併願したため、
過去問もいろいろ解いてみましたが、
その問題の特殊さゆえ、
「問題が聞いていること以上に難しく感じる」
ことが多くありました。

あの独特の入試問題に慣れることがまず大変。
特に昭和大学の生物の問題を見たときは倒れそうでした。
(入試1週間前にはじめて問題を見た)

私立に行くのであれば、まずその学校を見極めるといいと思います。
たぶんこれがいわゆる「受験校の傾向分析と対策」なのかな?

①その併願校は国立の二次対策でカバーできる学校か
②必ず出るor得点しやすい科目と分野、またはその逆は何か

これらは実際に赤本を時間を計ってやってみないとわかりません。
夏休みなど長期休みにやっておくべきだったのに、
私はこれを怠ったので直前の時期はものすごく大変でした。

特に、苦手な科目と得意な科目は必ず確認しておいたほうがいいです。
苦手な科目は入念にチェックする人が多いですが、
得意な科目できちんと得点できるか、あわよくば他科目のカバーができるか
も確認しておくと余裕をもって受験できます。

「あとでいいや、今忙しいから」(去年の私)
は絶対やめたほうがいいです。
あとになればなるほど、今より忙しくなることは確実です。
思い立ったときにやっておくべきです。

11月は国公立・私立の二次対策に専念できる本当に最後の時期です。

12月はセンター対策に追われるし、
センターが終わるとすぐに私立入試が立て込んできて、
1・2月に落ち着いて二次対策をすることはとてもできませんでした。

12~2月は怒涛の3ヶ月です。
忙しすぎてそのころの記憶があまりありません。
ちなみに後期試験までもつれ込むと、3月中も相当忙しいです。
【2010/11/05 21:23 】 | 再受験・合格まで | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
後期試験の思い出3
これで最後です。

面接になると、これまたぼろい建物へ移動し、
そこで他の受験生と一緒に待たされました。

やはり後期試験ということで欠席者も多く、
未だに地元の大学に未練がある私は
「私も前期で受かっていればなあ」
とぐじぐじと思っていました。

そのときは、自分がこんな田舎にいること、
しかも大学がぼろいこと、薄汚いこと、
とにかくすぐに帰りたいこと、
そしてこの大学がだめでも私立に行けばいいこと、
・・が頭にありました。

そして今までの私立の面接で再受験ということもあり
面接時いつもどこかで自分にセーブをかけ、
「相手の出方を待ち、自分からは無難なことしかいわない」
という自分の姿勢にほんと嫌気がさしていました。
(特に、関東の私立大学の面接の思い出参照)
たまりにたまったフラストレーションがここで爆発しました。
私の面接の返答に見苦しい部分がありますが、ご容赦ください。

面接官は3人。年齢的に教授ぐらいが1人、準教授・講師ぐらいが2人。
まずは高卒後の経歴についての確認。
会話は簡単にしてあります。実際はもっと丁寧に聞かれました。紳士でした。

「文系の出身で、どうして医師を目指したの?」
→現役のときは医者になりたくなかった。
親が倒れたときの思い出を話した。(過去記事参照)

面接官、納得いった模様。
よくある話だな、って思ってたのかもしれないけれど・・・

「なんでこの大学にしたの?出身はだいぶ遠い雪国だよね?」
→第一志望は雪国大学(以下N大)だったけどだめだった。そこは前期しかなかった。
後期は東北の某大学(以下A大)とこの某西日本大学と迷ったけど、
A大学は距離的にN大に近い。そこに行ったらN大への未練が残ると思った。
だから、それならいっそのこと雪国から遠く離れたここへ行こうと思った。

面接官、これはめっちゃ納得した模様。
「ああ、じゃあ残ってくれるんですね」
続けて

「もし今年落ちたらどうする?来年はまたN大を受けるのではないか?」
→受けない。今受かっている私立医大に進学する。

「年下と一緒に勉強するけど大丈夫?
→大丈夫。私は文系出身なので、知識は高校生と変わらない。
予備校で数学や理科を学んだときのように、
謙虚な気持ちで一つ一つ勉強して積み上げていきたい。

「動物はお好きですか?」
→はい。
「医学部では実験や実習で動物を殺さなければならないことがある。
そのことについてどう思いますか」
→医学の発展のためにはかわいそうですが、そういうこともあると思います。
「殺すのは当然だと?」
→!?いえ・・・いえ、そういうことが言いたかったんじゃなくて・・・
違うんです・・・(言葉がつなげない)
「わかりました。すみません、答えにくい質問をしてしまって」

「それではこれで終了です」

これにて終了。
時間はだいたい10~15分でした。
面接室は4つぐらいあり、一緒に入った人のうち
私が一番早かったと思います。ちょうど時間になったのかな?

結果、面接点は9割近く。
同い年ぐらいの合格した再受験の面接点がのきなみ5割程度だったので、
もったいないほどの評価をしていただきました。
最後本気で涙目で泣きそうだったのに・・・

どこが評価されたのか?
地元に未練がなさそうなとこ?志望理由で本音をいったこと?
開き直っててリラックスしている笑顔だったから?
それともただ面接官がいい人だった?

私には面接のときの思い出と成績開示の結果しかありません。
センターもそこまで良くなく、学科試験の結果もそこまで良くない。
面接が5割だったら受かりませんでした。
だから、自分がなんで受かったのかよくわからないのです。
ただ、運が良かったとは思います。

【2010/10/30 13:53 】 | 再受験・合格まで | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
後期試験の思い出2

続きです。

前日宿泊した市内から、電車で行くこと30分。
降りた先は、想像を絶した田舎でした。
大学病院がこんな田舎にあるなんて・・・
とまたまた帰りたくなりました。

自分も地方出ですが、
地元の大学病院は街中にあったので本当びっくりしました。
しかも最寄り駅が「駅?」ってぐらいぼろぼろで、
「受かってもこんなところに通うのか・・・」
なんて不相応にも思ってしまいました。

当日はそんなぼろい駅にかなりの受験生が集まっていて
予備校の見知った顔もありました。

会場に入り、一番に経歴書を書いたような気がします。
高卒後の経歴、医師志望理由、そんなとこだったかな?
時間の割りに書くところが多く、途中で終わってしまいました。
同じ会場の再受験と思しき人が時間の延長を求めていましたが、
係員に断られていたことははっきり覚えています。
その人は残念ながら入学されていません。
(うちは後期に追加合格が出たので、合格か不合格かはわかりません)

試験問題に英語論文(ネイチャーかサイエンスかジャーナルオブメディスン)が出て、
一つは薬学系でうつ病の薬SSRIかなにかについて、
もう一つは喫煙に見られる男女差というようなものだったかな・・・
最初のほうは本当わかりにくくて、早々に「やばい」と思いました。

私の合格を決めたのは、もう一つのほうの論文だったと思います。
前の大学でジェンダー論をかじっていたので、基本的知識があり、
喫煙以外でこのような論文の話の進み方が頭にはいっていました。
そのような場合、論文の構成が見た瞬間はっきりとわかるんです。
これは強い。

結果、成績開示によると英語論文の点数がおおよそ5~6割(低い)
だったんですが、最初の論文が3割程度の点数だと思うので
もう一つで7~8割とったことになります。
自分の前大学で勉強していたことが出たのは本当にラッキーでした。

学科試験はここまで。
再受験生としては気になる面接は次回・・・

【2010/10/30 13:03 】 | 再受験・合格まで | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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